太宰府

大宰府政庁
福岡の歴史と観光

太宰府と那ノ津宮家


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大宰府政庁と那ノ津宮家


太宰府で思い出されるのが、

学問の神様、菅原道真を祀る太宰府天満宮ですが、

ここで取り上げるのは、大宰府政庁です。

太宰府は、大化の改新後に設けられた、

西海道の中央政権として律令制の下にあった地方官庁です。

太宰府の前身の、那津官家の遺構が発見されたことに注目されます。

福岡市教育委員会が、意味深き発表を、平成12年にしている。

博多駅南に、比恵遺跡がありますが、

6,7世紀の穀物倉庫だったとされる、

総柱建物五棟と三列の柵後が発見された。

昭和から平成にかけて発見された、隣接調査の分を合わせると、

60b四方の南北両端に倉庫群があって、

中央に広場を持つ大規模な構造が明らかになったとのことです。

これは大和朝廷が古代、博多港である那ノ津のほとりに

米倉たてたとある

「日本書紀」を実証する発掘です。

朝鮮半島では新羅が勢力を伸ばしてたので、

朝廷は関係の深い任那、百済を助ける目的で、

出兵のために設けたのが、那津官家です。

日本書紀の、推古天皇17年(609年)に「筑紫大宰」と記録にあります。

外交面、軍事面を、総まとめにした施設があったわけです。

日本、百済の連合軍はは唐、新羅の連合軍に

白村江の戦いで敗戦した。

これを期に内政の大改革が行われ、

那津官家は湾岸から奥の山里へ撤退して

、太宰府を取り囲む形で、大野城、きい城、水城などが築かれました。

太宰府長官の階位は、従三位で地方官庁としては極めて高い位です。

これを見ても朝廷が太宰府を重視したことが解ります。

太宰府は、財政、生産、思想、文化と多様面に広がり

西海道の中央政権という役割を果たしていました。

また、絹織物、金属加工、染め物、木器具、竹器具、墨、

紙、筆、土器、瓦などの製造所があった。

昭和38年に、奈良の平城京跡から、28点の西海道、

調綿木簡が出土している。

太宰府製の木簡で太宰府の綿を朝廷に納入するとき使われた

荷札ではないかと言われています。

太宰府からは税として大量の綿が納められていました。

天平元年(729年)に、10万トン、その40年後には、

20万トンに増えている。

それだけ質が良かったのでしょう。

筑紫綿は今後の重要研究だそうです。


太宰府天満宮


大宰府政庁(都府楼)跡

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