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磐井の乱と磐井氏滅亡
福岡で忘れてならない歴史に、磐井の乱があります。
激動の古代日本国家を、決定づける戦いがありました。
継体天皇21年から翌年に起きた、磐井の乱です。
もしもですが、この戦で大和政権に磐井氏が勝利していれば、
九州独立国家が出来ていたのは、間違いないと、
考古学者や古代史研究家も認めておられます。
私も、奈良時代は出来なくて、磐井時代もしくは筑紫時代が出来、
福岡に都が出来たのは間違いないでしょう。
遠い過去の夢で終わったけど。
磐井の乱は九州の独立戦争だったのかと言う疑問は、
東アジアを巻き込んだ中央政権と、地方豪族の対決であったのが
答えのようです。
地方の時代と言われて久しいですが、そのルーツは、
城下町、福岡と商人の町・博多を会わせて福博と言いますが、
福博を中心とした北部九州に求めることが出来ます。
その主人公が、筑紫の君、磐井です。
磐井氏は、筑紫、肥前、肥後、豊前、豊後を,
支配下に置く一大権力者で、
なぜ磐井は、大和朝廷を震撼させる勢力までなったかと言うと、
婚姻による血縁関係の、創造があります。
磐井の本家、筑紫の君と火の君(肥後)の姻戚関係がそれです。
大和政権は瀬戸内の吉備政権を倒した後、
筑紫政権を奪うため、宗像氏や水間氏を頼った。
百済支援の軍事外交のため、重要港湾の糟屋屯倉を奪おうとした
大和政権に、磐井氏が、怒るのも無理はない。
磐井氏を倒した大和政権は、九州を日本の西の地方都市として
配下に納めた。
磐井氏の墓は、福岡県八女市の八女古墳群の一角にある、
岩戸山古墳です。
全長、100bでの前方後円墳で、九州最大です。
古墳の周りには、武装した人物、馬、猪、小鳥、楯、
刀、ユキ、キヌガサ、さしばや、
石製品が多数並んでいます。石人石馬文化の象徴です。
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岩戸山古墳(磐井の墓) |
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古墳周りの石の像 |
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